水筒

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467d08189ca44bedcbeebcbe922ad842.jpg 7bab860fbece0fca34ffe994940481cb.jpg大阪の実家に帰ると、本棚にあるこの2冊をいつも読み返しています。

 常に死と隣り合わせ。
明日生きているかどうかも

わからない。

そんな過酷なときを生きた乙女たちの物語です。
涙なくしては読めません。


 平成・・・どこの国と戦っているわけではない。

 

 

永久にどこの国とも戦わないと誓った国に

暮らしているわたしたちですが。

死と隣り合わせだという子供たち、大人たちが

今現在、確かに存在していて

 

まるでこの『水筒』に登場する乙女たちのように 

いつ使うかわからない手榴弾を、持ち歩いて生きている・・・
なんと残酷なことでしょうか。

「もうだめだ! コレを使うしかない!」

そう叫んで自らの命を絶つ乙女たちの姿が重なります。

「まだだめだ! 使うのは早い!」

「今はそのときではない!」

そう傍らで叫んであげたい。

もう少し先には・・・穏やかな救いの場所があるのだからと導いてあげたい。

『水筒』のラスト近くにもそんなシーンがあります。


 ひとりでも多くの子供たち、大人たちが

その場所にたどり着くことができますようにと
心から祈りたい・・・そんな心境です。

かえり船

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亡き父の好きな歌でした。

父は今の韓国テーグからの引揚げ経験者。

小さな小さな漁船に乗り、戻ってきたそうです。

 

嫁ぐ朝

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嫁ぐ朝は、式を行うホテルのシングルルームで迎えた。

式の当日は朝から着つけなどの準備であわただしいので、
前日からホテルに入ることにした。

前日はナビオ阪急(現在のHEP NAVIO)の松本楼というレストランで
母と夕食を共にした。

なにを食べたかはまったく憶えていない。
特にしんみりしたムードでも、
改まったムードでもない。
ふだんと変わらぬ親子の会話をしたように思う。

「じゃあ、明日○時頃にホテルに行くからね」
「ハイハイ、それじゃ」

わたしたち親子にはTVドラマのような感動シーンは
似合わないのである。

ホテルにチェックインしたわたしは
翌日に備えてたっぷり睡眠をとろうとした。

が、いつもよりやや気持ちが高ぶっていたのか。
なかなか寝つかれなかった。

仕方がないのでTVのスイッチを入れると
なんとかロードショーだか映画劇場だかで
『ウエストサイド物語』をやっていた。

実はわたし、ミュージカルものってちょっと苦手。
この『ウエストサイド物語』は特に苦手。
途中まで見ていたが、遂にスイッチオフ。
ベッドに横になってみた・・・

アンラッキーなことがつづいた。
廊下でだれかが騒ぎ始めたのだ。

フロントに電話し、コトをおさめてもらうこともできただろうが。
「とにかくもう、無理やり寝ちゃおう!」
そのときのわたしにはこの思いしかなかった。

騒ぎがいつおさまったかはわからない。
夜中すぎまでつづいていたんじゃないだろうか。

かなりの睡眠不足で嫁ぐ朝を迎えたわたし。

 

いまどきの花嫁さんは

どんなふうに嫁ぐ朝を迎えるのかな?

 


 

今は落ち着いているが

めまいがとまらなかったとき

「お父さん、タスケテェ~!」

思わず叫んでしまった母。

 

亡くなって35年になる。

生前の父は・・・よく母と喧嘩していた。

仕事が好き、飲み歩くのが好き。

ちょっと女好き?

子煩悩で、子供に手をあげることはなかったが

母に当たることはしょっちゅうだった。

 

ちょっとでも気に入らないことがあると

バシッ、ボカッ、手を出す、蹴りを入れる、

茶碗を投げる。

 

「うちのお父さんとお母さんは仲が悪い」

「リコンするんじゃないかなぁ」

そんな妄想が湧くほど

かみ合っていない夫婦に見えた。

 

わたしが9つの年まで

父は記者をしていた。

記者は飲むのも仕事のうち。

父の帰りはいつも遅かった。

 

「今日はどこそこで飲んできた」

「ふ~ん」

「キャバレーのおねえちゃんはキレイでやさしかったぞ」

「ふ~ん」

 

眠いのになぁと思いながら

相槌を打つ母。

 

「おい、少しは反応したらどうなんだ!」

「・・・」

「焼きもち焼くとか」

「キャバレーの女のひとは、そりゃあ愛想よくしますよ」

「・・・」

「お金払っているんだから」

「・・・」

 

父の負け!

 

このハナシを聞いたのは

父が亡くなって数年後のこと。

 

記憶のなかの父は子供好きで

やんちゃ坊主がそのまま大人になったようなひとだった。

 

たくさんの友人に恵まれ

大好きな仕事をして

美味しいものを食べて

美味しいお酒を飲んで

ふら~りふらりと出歩くのが好きだった。

 

でも・・・寂しがり屋さんだった。

 

今からすると母は

掌のうえで父をコロコロ

転がしていたのだ。

 

寂しがり屋さんでなかったから

できたのかもしれない。

 

父が亡くなって35年。

再婚もしなかった。

娘や息子が巣立ってから

ずっとひとり暮らし。

寂しいという言葉を口にすることは

なかったのだが。

 

「お父さん、タスケテェ~!」

 

一瞬、ひとりが怖くなったのだろうか。

寂しくなったのだろうか。

 

寂しがり屋さん。

悪くないじゃないかと思う。

素直に言えばいい。

寂しいときは寂しいって。

 

時を越えて残るもののひとつ・・・写真。

古い写真を見るのが好きだ。

こんなサイトをたまたま見つけたので

ブックマークした。

http://oldphotosjapan.com/ja/

 

実家にある一番古い写真は

父母のアルバムのなかにある。

正確な撮影月日は不明だが

たぶん昭和10年代。

西暦だと1940年代ということになる。

 

彼の実家には大正時代に撮られたと思しき

写真がたくさんある。

彼の戸籍上の祖母の古いアルバムを

ながめていると

わたしの心は大正ロマンの世界へ

タイムスリップ!

 

会って話をしたこともないひとだが

なんとなく親近感が湧いてくる。

 

 

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編んだ髪にリボン。

柄や色はよくわからないが

襟なしのワンピース。

瞳は何色だったんだろう?

まつ毛は長かっただろうか?

 

お人形をじっと見つめている

わたしは2才。

 

このお人形・・・実はわたしのモノではない。

近所のおねえさんの大事なお人形。

 

遊びに行って、見せてもらって

抱かせてもらって、

どうしても離さなかったので

母がお願いして一日貸してもらったという。

 

当時のわが家は・・・こんな人形を買う余裕はなかった。

はだかで、編む髪もなく、リボンもつけていない

キューピーさんが精一杯だった。

 

2才のわたし。

お人形になんて話しかけているのかな?

コメントをしたいのですが、どうすれば?というご質問を

いただくことがあります。

このような拙ブログに・・・ありがたいことです。

 

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幼少の頃の写真です。

今と違い、携帯でパチパチ撮れる時代では

なかったので、数はそうありません。

 

それにしても可愛くない。

コレで女の子なのです。

 

「坊ちゃんですか?」

「イエ、女の子で・・・」

 

間違えられることも多かったとか。

それになんでしょ~か、この演出。

 

可愛く撮りたいなら

それなりの演出をすればいいのに。

 

アタマにのせているのはナニ?

自分でのせるわけないから

のせたのは・・・わが父に決まっているが。

受け狙い?

 

とにかくゼンゼン可愛く見えないですよね。

 

一歩

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内気で引っ込み思案 
少しいじめられっ子

わたしはそんな子どもだった

ある日 クラスでキックボールをした

一塁ベースのうしろ
ライトがわたしの守備位置

あまり得意でないキックボール

こっちにボールが飛んできませんようにと
祈っていたら

ライト方向に大きなフライが上がり
わたし目がけて落下してきた

どうしよう、と考える余裕などなかった

ボールから目を逸らさず
からだの真正面でバシッとキャッチした

アウト!

チームメートもフライを打った本人も
皆ボーゼン

キャッチしたわたしも
ボーゼン

「なにしてる! ホラ、みんな、拍手拍手!」
「よー取った、よー取ったぁ!」

センセイの声に促されて
みんなが拍手してくれた

その日を境に キックボールが好きになり
自分にほんの少しだけ自信がついた・・・

もしあの瞬間 ボールから逃げてしまっていたら
もっともっと後ろに引っ込んでいただろう

逃げずに一歩
まず一歩進んでみる

たかが一歩
されど一歩

ほんの一歩で
それまで見ていた世界が
変わることだってある

一歩を大事に
これからもいこう♪

震災のあと、母から聞いたエピソード。

震災で大怪我を負ったものの
数日後に大阪に避難し、即入院し手術を受けることができたわたし。

そんなわたしの姿を見ているうちに、母の中にある思いが・・・
被災地での炊き出しボランティアに加わろうと決めたのです。

さて、友人知人と一緒に(時期は忘れましたが)炊き出しに出かけた母、
向こうでこんな話を聞いてきました。

芦屋辺りは倒壊家屋も多く

ある地域などはほとんどのウチが全壊あるいは半壊しているほどの惨状でした。

ところがそのなかで、たった一軒だけぽつんと建っているおうちがあったそうです。


「いいか。とにかくウチの土台は

頑丈のうえにも頑丈にしておくんだぞ」

そのおうちのご主人のお父様の遺言だったそうです。

「大地震がきたら、このへんはきっと大きな被害を受ける。万全な備えをしておけ」と。

わたしもそうですが、震災前の関西のひとたちって
「関西には地震なんて・・・」と無防備なところがたぶんにありました。

でもこのお父様はちがったんですね~

で、息子さんであるそのウチのご主人は忠実にこの遺言を守り
「これでもかぁ!!!」というほどの耐震性の高いウチにして
いつやってくるかわからない大地震に備えたわけです。

周りから嘲笑なんかも浴びせられたりしたでしょう。
でも、お父様の遺言をキチンと守り、実行した。

その結果は・・・断層がピピピと走った地域でありながら、ビクともしなかった!!!

そんな話を聞いたそうです。

不思議ですね。すごいですね。


 

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